錦秋の会津・裏磐梯路

「錦秋の会津・裏磐梯路」

 8期校友会15周年記念行事と銘打った、1泊2日のバスツアーを振り返ってみました。

 時季、天候、2つとも幸運に恵まれたことに、まず感謝です。

 そして、全員後期高齢者ぞろいの旅が、何のお変りもなく無事ご帰還となりましたこと、神の思し召しとしか言いようがありません(?)

 新都心駐車場から乗車した1515ナンバーの遊覧バスは、アール・ヌーヴォー風のちょっと素敵な車でした。ただ、コロナ対策らしいプラスチック・パーティションはとても邪魔でしたが・・・。

 それより何より、ショックだったのは、ガイドの人選です。妙齢とはいかなくても、ガイド嬢には心地よい癒しの雰囲気を期待するじゃないですか・・・。ところが、自己紹介されたのは何と、コワモテでムキムキの老齢男性。「髪の毛はないけど、名前に木が2本生えてる」とかご本人言うところの、林さんという自称「山オトコ」。

 「エーツ⁈」。「ウッソー⁇」。「ハズレだ‼」。「キモい!」。と叫びたい。悪いけど・・・。この人、前歴は陸上自衛隊制服組「一佐(旧・大佐)」の武官さん。著名な登山家・田中陽希さんの一番上のお兄さんといった風貌。確かに、その方面では頼り甲斐がありそうですけど・・・。実は後で旅行社のパンフをよく見て判ったのですが、このツアーには添乗員は同行するが、ガイドは省略されていることでした。認識不足で大変申し訳ありません。

 まあ、それはそうとして・・・。

 「東京に空がない…」と智恵子さんはいみじくも仰ったが、確かに北関東・福島の地には空がありました。突き抜けるような青空も、山に寄り添う秋雲も。それから、たおやかなオッパイ山も…。

 しかし、紅葉真っ盛りの、ワインディングロードと言われる磐梯吾妻スカイラインのヘアピンカーブを走り抜けて、最初に訪れた浄土平の異様・威容な景観には、息を吞む思いでした。あちこちから硫黄臭の亜硫酸ガスが噴出する不毛の一切経山は、箱根大涌谷や下北半島恐山を連想させてくれました。また、隣接する吾妻小富士には標高差100mの新設された階段があります。不規則な幅の段々で、段数は忘れましたが、とても昇降しにくいものです。これを踏破できたメンバーは、わずか3名のみでした。その他のメンバーは、階段を眺めただけでおじけづいたり、挫折したり。

 次に向かった中津川渓谷。レイクラインが一部不通のため、大幅に遠回りして、ようやくの到着でしたが、ここがまた階段のある難所。絶景スポットをパスしたのは、やはり私ばかりではなくて心強い思い。

 初日最後の訪問地は、四季を通して人気の高い五色沼湖沼群の毘沙門沼。陽が傾いてしまって(pm4時頃)、コバルトブルーの美しさには出会えなかったけれど、湖面に映る磐梯山と紅葉とのコンビは、確かに絶景間違いなしです。

 釣瓶落しの秋の夕暮れ時、ようやく宿に到着。予め添乗員から「ホテルのグレードには期待しないで欲しい」と釘を刺されていたヴィラ・イナワシロでしたが、心配した程でもなかった。夕食後、部屋で2次会と相成った。ほぼ全員参加で結構盛り上がった。その光景に会長は、やや声を詰まらせて所見を述べられた。

 翌朝はすでに脚は棒状態。頭はボーっとしていた。それでも旅程は進む。am8:30にはホテルを出立。

 紅葉に包まれた山道を再び北上し、檜原湖東隣の曾原湖に到着。周囲にはペンションやキャンプ場まである、湖沼群で4番目に大きな湖。午前のさわやかな明るい陽射しのなか、深紅の楓や雲が湖面に映えて、のどかな絶景ポイントでした。

 それにしても、昨日から紅葉を求めてあちこち巡回していて、ふと気になったのは、こんな山奥での道路建設とそのメンテナンスの困難さや膨大だろうその費用、そしてそれらの経済計算などの事柄である。そんなことはお構いなく、整備された道路上を、ひたむきに走り続ける観光バスの座席にもたれて、ぬくぬくとうたた寝できる幸せは運転手殿に、そしてこの国の平和な今日日(きょうび)は為政者の方々に、それぞれ大いに感謝しなければならない筈だ・・・。さて、どうでしょう?

 その間に、バスは磐梯山ゴールドラインを抜けて、会津若松に入る。やや渋滞気味な街中で、飯盛山の所在を確かめようとしているうちに、鶴ヶ城に到着してしまった。私は、堀内孝雄の歌う「愛しき日々」だけは大好きだ。綾瀬はるかの「八重の桜」も大好きだった。私は感傷にひたり易いタチなのだ。それはこの際どうでも良い。

 幹事さんは天守閣の登頂希望者数をしきりに気になさっていたが、ここでも急階段への恐怖心から、応募者は6名だけに止まった。その筋トレ参加者様たちを、「じゃあ、お元気で‼」と軽く挨拶して見送ったら、後ろから誰かに肩を小突かれてしまった。私は、たやすく観察できる石垣の大きな石組に魅せられて、しばし眺めたり写真を撮ったりしていた。八重かどうかは判らなかったが、桜の老大木が城内にはたくさん残されていた。

 旅行者にとって嬉しいのは、さすが伝統文化の根付いている会津だなと頷かせる本物の土産品が数多くあることだ。漆器等の漆工芸品、陶芸品、清酒、絵ろうそく、etc.  市のマスコットが張り子の赤べこも、素朴でウレシイ。

 鶴ヶ城会館で、ワッパ飯とかけそばの昼食を頂くと、少し食べ残していても、満腹感からまた眠くなった。バスは1時間ほど南に走ったらしく、気が付くと次の訪問地大内宿に到着するところだった。

 一見広すぎると思われる、用水路のある道路が南北に通り、両側に合わせて50軒もの茅葺屋根の平屋が整然と連なる。それは壮観である。ここは宿場町であったから、当然白川郷などとは違い、もともと賑々しい雰囲気だったのだろうが、今では中国語や英語が飛び交う賑やかさである。

 この後もまだ、これでもかこれでもかと言わんばかりの紅葉狩り行脚は続く。贅沢な話ではあるが、過ぎたるは何とか言う通り、食傷気味でゲップが出そう。

 次のポイント、観音沼森林公園は申告敬遠し、その次の雪割橋は、皆様にご心配をお掛けしないようにと思い、シブシブ降りた。

 旅行社とすれば、盛り沢山のスケジュールを組めば、コスパが良いとユーザーに喜ばれるものと考えるのだろうが、後期○○者向けには逆の場合もあり得るのではないか・・・。今回の場合、最後の2か所についてはそんな気がした。

 ともあれ、その後は、白河インターから東北自動車道に入り、ほぼ順調、予定のpm7:00過ぎには新都心に戻って来られた。

 錦秋満喫のツアー、大成功!お陰様で期待以上の絶景に回り逢えました。紅葉だけじゃない!メンバー全員との「ふれあい」も堪能できた旅路でした。幹事さんに大感謝!

 また、ツアーご一緒しましょう‼  こんどは、もっとタカ~イところにある浄土平で…。。。‼?

 

 この原稿は、会津清酒「京の華」(会津で復活させた酒米から採った名称)をチビりながら、「青いインク」ならぬ黒いキーでしたためています。(これまた蛇足)   (Y.O・記)